こんにちは。
今日は大きな気づきがありました。
わたしをずっと縛り、生きにくくしていたものは。
「当たり前」
の概念でした。
このキーワードでいろんなことがするすると紐解けました。
できるのが当たり前。
できないのが当たり前。
どちらも違いました。
生きているのが当たり前。
培った能力は私のもので、半永久的に奪われないのが当たり前。
(奪われるという表現自体が間違いなのですが)
明日が来るのが当たり前。
家があって当たり前。
仕事があって当たり前。
ピアノが弾けて当たり前。
私はいつの間にかそう思っていたようです。
というかずっとそうやって生きてきたのかもしれない。
なぜ「奇跡は全く起こらないと思って生きるか」
「すべてが奇跡のように生きるか」の二択しかないのか。
それらは当たり前と思わないこと、すなわち有り難いと思うこと=感謝にこたえがある気がしてなりません。
親のことが初めて俯瞰できた。
親には親の事情がある、はじめての子育てで成功より失敗が多い。
私は親になったことはないけれど、
私が柔らかな物腰で接すれば、きっと今よりもっと良好な関係が築けることでしょう。
自分の人生を自分で創造し構築することは奇跡だ。
そうすると自然に当たり前の呪縛が解けて、感謝の気持ちが生まれる。
いつか「あなたの人生もそこそこいいわね」と微笑んでくれるかもしれない。
そういう理解者が増えるかもしれない。
プラスのものもマイナスのものも意味を持ち始める。
肥しとなるまでに時間や苦労、痛みとおぼしきものを要しても。
みんな言わないだけでいろんな苦労を背負って生きているんだろう。
今日は当たり前の呪縛が少し解けた。
うれしい。
いつもありがとう。
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