TOMOMI KATO

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焦りと怒りと怖いものばかりでも

久しぶりの更新となりました。

何を書いていいのか、何を思っていいのか、わからない日々が続きました。自分の思うことをそのまま発言すると危険な気がしていました。直感で書いて公表してはいけない気がしていました。


でもそのままでは一生かけないであろうとも思いました。どうも私にはよく見られたい、かくありたいという欲と建前を、創作に着手することより優先する癖があるようです。これから発言をある程度自由にするととともに、緩く覚悟と責任を持って臆せず創作に励みたいと思います。


さて、先日楽譜を整理していたらヘンレ版のシューマンソナタOp.22が出てきました。

この本の余白には私が2017年の夏に書いた文章が書き殴ってありました。思うにこの時のほうが自分に正直に生きていました。

3年以上前の自分に叱られたような、そんな気分になりました。私はいつの間にか随分と狡くなり、贅肉のついた精神となってしまいました。

書いてある文章自体は少し奇怪で意味不明な部分もありますが、今の私になお確かに存在するパーツでありこれからも抱えて大切にしていくことであろうので、公表させていただきます。




2017_0714

①人間は地上に上がった霊長類の最もあたらしい形なので、オギャーと産ぶ声をあげたときは海も空も知らず、せいぜいお母さんのおなかのなかでプカプカしながら息をすることを待ちわびている。

だから当然、胎内ではお母さんの声に反応して音や動きで返答を発信する。本来、人間は水に弱い生き物だし、海で魚を採ったり流されて漂流するときは、最悪の場合呼吸が完全にできなくなるのをただひたすら待ちぼうけするという、それをひたすら苦しみ続けながら「心待ち」にするという拷問を強いられる他、それ以外の選択肢はゼロである。

②これは水難で死にそうになった本人から生の声で聞いた話ですが、人間が溺れてもう充分苦しんで死ぬ最終段階に入るといろんな肢体の穴という穴から入ってくる水が急に甘い砂糖水と感じるようになり(脳が苦しみを軽減するために五感を誤作動させてブレーカーを完全に落とす=「死ぬ」準備を統括させる)、最期は脳が死ぬことを心地よく是認して受け入れ体制を万全にして完全に遺体となる。雪山で寝ると確実に死に至るのも似たような脳の伝達プロセスが作動しているのは言うまでもありません。

③よく人は暗喩的な代名詞として、翼を持たないので空を体感できないことを鳥にうらやみ(飛行機は今も人類の夢をのせて飛んでいると思う)、水中を自由に泳げる魚たちに憧れてみたり、又あるときは精神の囚われを「貝」に見立て、あるときは精神の純朴さを「一輪の花」に投影している。同じ観点で言えば、緑は酸素をイメージさせ(光合成を行う植物のイメージ)、青は地球の色、特に大半を占める母なる海の色、白は汚れなき純潔や処女性を意味するもの(ウェディングドレスや天使、ナースなど)、そして黒は葬列や底無しの闇のイメージ(ざっくりいうと「死」に重きを置いている、または恐怖や悪い意味での「永遠」)を意味するので、なぜ今私が緑、白、黄が好きで青、黒を敬遠するのは全く道理にかなっているということです。ちなみに黄(オレンジ)は太陽のイメージ(一筋の光、最大の変化を想定すると黒いものを日光が完全に白に戻す、帳消し、リセット、希望の象徴である)なので最終的に緑色や黄色、そこに白色がエッセンスとして入ると、人は気持ち的にストレスフリーに穏やかに生きられると思います。



当時の私が本当のところ何を思っていたかは今となっては分かりません。

でも今でも私はまれに3年以上前の感覚に陥り、恐怖や閃きを感じたりします。


当時の私に怖いものはなかった。

今は怖いものばかりです、そして焦りと怒りが多くを占めています。

怖いものがないということは危険です。怯えすぎるのもいけませんが。


いつも大丈夫という声が聞こえるわけではないですが、とりもあえず私は生きていることを選択し続けています。









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